![]() |
イタリア旅行ローマ帝国
都市国家ローマから王政ローマを経て、共和政ローマ・ローマ帝国の首都となり、100万人が居住する当時としては世界最大の都市となった。コンスタンティヌス1世が第2のローマと呼ばれたコンスタンティノポリスに遷都するまで、世界帝国の中心として君臨し続けた。 395年にローマ帝国が東西に分かれた後は、西ローマ帝国に属したが、西ローマ帝国は首都をラヴェンナに置いためその政治的重要性は大きく低下した。5世紀には西ゴート人やヴァンダル人の掠奪を受けて衰微し、西ローマ帝国も476年に滅亡した。その後は西ローマを滅ぼしたオドアケル、次いで東ゴート王国の支配下に入った。 [編集] 文化の中心地 6世紀以降は東ゴートを滅ぼした東ローマ帝国やランゴバルド王国などのいくつかのゲルマン人の王国の支配を経てフランク王国のカール1世が征服。『シャルルマーニュの寄進状』によれば800年にカールによりローマ教皇に寄進されたとされるが、この文書は今日では偽書とする見解が優勢である。中世初期から近世までローマ教皇領の首都として栄え、ルネサンス時代後期には文化の中心となった。 [編集] 統一イタリアの首都 1871年に、イタリア王国にローマ教皇領が併合されイタリアが統一されると、ローマはフィレンツェに代わって統一イタリアの首都となった。その後1930年代にはファシスト党の独裁者、ベニート・ムッソリーニがローマ郊外にローマ万国博覧会(Esposizione Universale di Roma)のための新都市、EUR(エウル)を建設したが、第二次世界大戦へのイタリアの参戦によりEURの拡大は一時的に中止となった。 [編集] 現在 第二次世界大戦後には、航空機の発達により、日本をはじめとするアジアやアメリカなどのヨーロッパ圏外からも多数の観光客が訪れるようになった。現在はパリやマドリードなどと並び、ヨーロッパを代表する観光都市として親しまれている。また、イタリアの政治や経済、文化の中心地的存在であり、市内にはイタリアを代表する大企業の本社や官公庁、外国企業の支店が立ち並んでいる。 ロシア ニューヨーク 韓国 |
|
|---|---|
