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フランスのシャルル・ダンジューによりホーエンシュタウフェン家のシチリア支配が断絶すると、ローマ教皇クレメンス4世は1266年シチリア王国をシャルル・ダンジューにあてがい、アンジュー家は王国の首都をパレルモからナポリに遷都した。しかし1284年、シチリアの晩鐘事件でシチリア島で反乱が起こると、スペインのアラゴン家がシチリアに入るが、ナポリを中心とする南イタリアはアンジュー家が依然として押さえていたので、王国は二つに分離された。双方ともシチリア王国の名を要求しているが、アンジュー家のナポリ移転によってナポリ王国が成立したと見ることができよう。
アラゴン王国の アルフォンソ5世は内紛続きのアンジュー家ナポリ王国を征服し、1443年ナポリに入り、シチリアとナポリをまとめた両シチリア王アルフォンソ1世として即位した。アルフォンソはアラゴン王であるにもかかわらず、ナポリに長く滞在して統治した。1458年のアルフォンソの死後は私生児のドン・フェランテがフェルディナンド1世としてナポリ王位のみを継承するが、失地回復をめざすヴァロア朝フランスのシャルル8世がこれに付込んで1494年、ナポリを武力占領した。これに対してスペイン・ハプスブルク家から派遣されたコルドバ将軍は1503年、ナポリを征服し、フランス軍を南イタリアから追放した。ナポリ・アラゴン家は取り潰され、スペインのナポリ総督によって支配される属州となった。 スペイン継承戦争(1701年~14年)のさなか、1707年オーストリア・ハプスブルク家の軍隊がナポリに入城し、スペインの総督は追い払われた。オーストリアの支配は1734年まで続く。ポーランド継承戦争が起こると、フランス・ブルボン家はスペイン・ブルボン家の支援を求め、1734年スペインのドン・カルロスがナポリに入城してナポリ王カルロ7世として即位、シチリアも回復した。カルロスは1759年にスペイン王カルロス3世として即位するため、ナポリ王位を息子のフェルディナンド4世に譲った(1734年をもって両シチリア王国の成立とする見方もある。ただこの時は正式名称としては使用されなかった)。 ナポレオン戦争中ナポリ王フェルディナンドはナポリから追放されシチリアを領有するだけとなった。ナポリは1806年から1815年にかけてフランス人の王を戴くことになる。1816年にフェルディナンドがナポリとシチリアの王として返り咲くが、まもなく王国名は正式に両シチリア王国に変更された。1860年両シチリア王国はジュゼッペ・ガリバルディに征服されイタリア王国に併合される。 1995年、世界遺産(文化遺産)『ナポリ歴史地区』として登録される。 |
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